王龍寺概要

王龍寺のあらまし

海瀧山王龍寺は、黄檗宗の寺院です。
黄檗宗は、江戸時代に、中国(明)の時代、隠元禅師によって日本につたわった、臨済宗のながれをくむ、禅宗のひとつです。京都府宇治市にある黄檗山萬福寺を大本山としております。
王龍寺は、伝説によれば、古く聖武天皇の勅願による古刹とされております。現在の黄檗宗の寺院として体裁がととのえられたのは、江戸時代になってからのことです。大和郡山の城主であった本多忠平公によって、元禄二年に堂宇が整えられました。現在の本堂は、その当時のものを残しております。
開山は、梅谷禅師です。梅谷禅師は、黄檗宗第二代木庵の弟子にあたります。
本尊は、石仏(磨崖仏)の十一面観音菩薩像です。つくられた年紀がわかる石仏として貴重なもので、南北朝(建武三年)の作になります。これは、奈良市の文化財に指定されています。
この他、奈良県の保護樹木・奈良市の文化財(天然記念物)に指定されているヤマモモの古木(樹齢三百年以上)があります。また、山門より本堂にいたる参道の周囲ならびに境内の山林は、奈良市の文化財(天然記念物)に指定されています。現在まで残っている、市内での貴重な里山の自然林になります。
現在では、奈良市の西、富雄川の流れに位置する、自然環境を残した、古来の面影をとどめる古寺として、人々の信仰と憩いの場となっております。

本堂

 

黄檗宗について

黄檗宗は、江戸時代、中国の明の時代に、隠元禅師によって日本にもたらされた、臨済宗のながれをくむ禅宗です。隠元禅師は、中国において、福建省にある黄檗山萬福寺の住職をされていました。1654年に、63歳のとき弟子20名とともに、日本にわたってこられ、京都の宇治に新たに同じく黄檗山萬福寺を建立されました。明治になって、黄檗宗として独立の宗派となりました。現在でも、本山(萬福寺)では中国式の生活様式で修行がおこなわれています。

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